東京都西多摩地区で唯一の浄土真宗本願寺派の寺院である「浄弘寺(じょうこうじ)」が、青梅の地に聞法道場として設立されたのは1988年(昭和63年)のことです。
当時、日本各地から多くの人々が都市開発に伴って東京西多摩地域へ移住し、新しい生活を始めていました。しかし、浄土真宗のみ教えを聴聞し、心の拠り所となる寺院がこの地域には存在していませんでした。
このような中、茨城県にある本寺「内手山 覚清院 浄国寺」の次男として生まれた釋弘充(しゃく こうじゅう/内手弘充)が、本山本願寺の命を受け、また親鸞門徒をはじめとする多くの方々の後押しを得て、東京都青梅市に多摩布教所を開設しました。
その後、地域に根ざした布教活動が実を結び、青梅の地に「内手山 浄弘寺」として現在の寺院が1991年(平成3年)に建立されるに至りました。
【信仰の場として】
内手山浄弘寺は、都市生活のなかで忙しく過ごす方々にとって、仏法にふれ、「聞法の道場」として、また地域の皆さまにとっての心のよりどころとして、今日も親鸞聖人のお示しくださった、浄土真宗のみ教えを伝え続けています。
浄弘寺の起源はおよそ800年前、鎌倉時代にまでさかのぼります。
茨城県にある「内手山浄国寺(じょうこくじ)」の分家寺院として建立されました。浄国寺の開基は親鸞聖人の門弟であった内手美濃守資康(うちで みのうのかみ
すけやす)、法名は釋了善(しゃく りょうぜん)です。
現在も、住職家系はその血脈を継ぎ「内手」の姓を名乗っています。
【寺の創建】
鎌倉時代、親鸞聖人は関東で約20年間にわたり常陸国稲田(現在の茨城県笠間市)を拠点として、各地を巡られ布教を行ないました。
その折、三村の郷士であった内手美濃守資康も聖人の教えを受け、法名「釋了善」を賜り門弟となりました。
資康は聖人の教えに深く帰依し、何度も稲田へ通い熱心に聴聞を続けていました。
ある日、親鸞聖人より御本尊「十字名号」を授けられ、
「この名号を御本尊として、三村の地に一寺を建立せよ」
とのお言葉を賜りました。
これにより、承久2年(1220年)、釋了善を開基として一寺が建立されました。これが現在の浄国寺であり、後に分家として建てられたのが浄弘寺です。
【山号「内手山」の由来】
寺院に付される「山号(さんごう)」は、寺の所在地や由緒に由来する名称です。
たとえば「比叡山延暦寺」のように、浄土真宗の寺院にもすべて山号が付けられます。
当寺の山号「内手山(うちでさん)」は、浄国寺の開基である内手美濃守資康の名に由来し、師である親鸞聖人との強い絆と深い信仰を象徴するものです。
【受け継がれる800年の歴史】
浄弘寺は、創建以来800年にわたり、仏縁ある多くの方々とともに、浄土真宗のみ教えを伝えてまいりました。
本寺である浄国寺には、初祖・釋了善上人の御座像が今も安置され、その信仰の原点が大切に守られています。
【結びに】
親鸞聖人と釋了善上人とのご縁に始まったこの寺の歴史は、過去のものではなく、今を生きる私たち一人ひとりが仏法と出会い、支え合っていく道でもあります。
どうぞ「内手山浄弘寺」とのご縁を通じて、阿弥陀仏の教えにふれていただければ幸いです。
記:浄弘寺 若院 内手弘徳(釋弘徳)